« +a crossing 第10回 光森裕樹さん短歌三首 | メイン | +a crossing 第11回 荻原裕幸さん短歌三首 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://www.typepad.jp/services/trackback/6a0120a681e20d970c0120a62a96fb970b

+a crossing 第10回-2 荻原裕幸さんによる光森裕樹さん短歌評 を参照しているブログ:

» 2008年10月27日(月) (ogihara.com)
午後、同朋大学へ。文章表現の講義の五回目。きょうは評論について。実例をベースに解 [続きを読む]

コメント

山本剛

 勤労感謝の日にそれらしいことはできませんでしたが、光森さんの三首に、
耳をすましてみます。
 まず一ヶ月前に一読した段階では一首目「ものごころつくまで誰が吾なりしか」と
三首目「あなた、でしたか」の、順不同のインパクトしか受け取れませんでした。
ただ、それだけでも「嗅覚レベル」での味わいはなされたという自覚のもと、
三首目が初めにあるようなイメージで、考えを進めていった記憶があります。

 さらに荻原さんの解説も踏まえ今日あらためて3首目を考えた場合、英語「dove」(ドバト)でいう
「a dove」:片方(この場合は相手側のハト)にしか対象(この場合は「吾」)のイメージがない状態
または、吾から見て、数ある中の1つでしかない状態
が、
「the dove」:自他に何らかの(共通でなくともよい)イメージができる状態、
双方にとって対象が自覚された状態
に変わる瞬間をとらえているように感じました。
 さらにdoveについてまわるノアの方舟の連想(ジーニアス英和辞典からウィキを参照しました)の中で、妄想気味に2首目にあたってみると
ノアの創世記から数えて、幾羽目かの鳩に耳を傾けた主体が、
「初めて見たものを親と思い込む」刷り込みに似た、
無条件の郷愁を感じている印象が浮かびます。
 さらに一首目の「乾びたるベンチに思ふ」吾は、「方舟の残骸」の延長線上に
心地よく迷い込んでいるようです。

 この物語は3パートで終わるようですが、この「吾」は3歩あるいてはまた忘れ、
角度を少しずつ変えて、同じ迷路にいるのかもしれません。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿