« +a crossing 第11回 荻原裕幸さん短歌三首 | メイン | +a crossing 第12回 なみの亜子さん短歌3首 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://www.typepad.jp/services/trackback/6a0120a681e20d970c0120a681e2fe970c

+a crossing 第11回 荻原裕幸「秋容」三首評 by  なみの亜子を参照しているブログ:

» 2008年11月21日(金) (ogihara.com)
午後、栄のスカイルへ。朝日カルチャーセンター「はじめての短歌」。きょうは出席者1 [続きを読む]

コメント

(た)

山本さん、ご説明ありがとうございます。
妖刀のくだりを読んでから「なり」のコメントを読み直しました。私が外していたようです、無粋ですみません。

山本剛

(た)さん、お気遣い、および、「なり」についてのご指摘、ありがとうございます。

文法に忠実に読むなら「、ごみの日也の明るさ」(助動詞的に読む)というのは不自然ということで決着するのかもしれません。ただ、必ずしも文法に忠実な読者ばかりではないのと、変態的な読みを否定するのも芸術的でないので、いろんな読みがあってもいいのかと思います。

もちろん、それを不特定多数に発表する場合、作者の気分を害さないことにも留意すべきなので、私としても、そこは気をつけていきたいと思います。

(た)

 名前に関して。山本さんが気になさる心配はありません。インターネットは元来実名、パソ通はハンドルネームでして、私はネットからですので、90年代後半からのネットのハンドル文化には違和感を感じていたのですが、思うところあって固定ハンドルにて現在に至っております。
 「なり」に関して。助詞と助動詞では捉え方に違いが生じるように感じました。

 勝手に総括しますが、今回は「小さくても充実した短歌空間」に必要な要素が十二分に感じられました。

山本剛

硬質な名前が連続してしまい誠にすみません。
第一首の音声面と、全体像について書かせてください。

ごみのひはごみのひなりのあかるさにあさのわたしをならしてあるく

31音のうち12音が「あ」段であることによる開放感はさることながら、
第二句までの助走から一気に後半に「あ」段が、それもほぼ連続の2音として表れることで、
明るさの加速感が、音の面からも、(むしろ、こっちが主導して)表現されています。
後半のクライマックスへの包装紙のようなゆったりした第二句までにも、
「なら」してあるく、とささやかに呼応するような、ごみの日「なり」もあり、
一首目は音声面で存分に味わえる首となっています。

余談ですが、「ごみの日なり」を「ごみの日也」とコロすけ(? あまり詳しくはありません)風に
言っている主体を想像すると、明るすぎて相手が声をかけづらい懸念があるかもしれません。

さて、作者にまつわる全体像ですが、この連作に付随する情報も合わせて考えるなら、
「秋容」からゆるやかに浮かび上がる「秋に照射された定型の容れもの」に、
「わたし」を力んで流し込むことなく、かといって周囲に「無自覚な融合」をすることなく、
泥水ていどの差異をたもったまま世界を掬い取ろうとしているように感じます。
そのような姿勢には、「わたしを流す込む余地が少ない」と思われる俳句との接触が、
影響しているのかもしれません。

思想の差異や表現の鮮度により、オリジナリティーを声高に叫ぶのではなく、
世界・風景をもふくめた「他」との交わりの度合いを楽しむようなところに、
現在の荻原裕幸さんの姿が見えるような気がします。

山本剛

2,3首目についてのつたない読みをもう少し書かせていただきます。
2首目「左右なきやすらぎ」について。危険は「左右」を気にしなければならないものですが、そこを抜けて「やすらぎ」に出ればそこは「左右なき」無限の広がりを持っていると解釈していました。
ただ、平面だからこその「侵食されないやすらぎ」という観点も面白いと思いました。
3首目について。
この首には、体を内部から見たような「みづ」の身体感覚であふれている印象を受けました。
(ここからはあとづけ)だからこそ手探りでとらえた「からだの闇」ではないのかと思えます。
次に動詞の数についてですが、短歌の世界には「動詞3カウント以上はアウト」の暗黙のルールがあるように感じるので、あえてそれを受けた上で、ためしにプロレスで考えてみようと思います。(あまり詳しくはありません)
まず「みづが撓む」でバックドロップの持ち上げが完了。
これで「冷える」につなげるなら「投げっぱなしバックドロップ」(危険)
「傾きながら冷える」で着地。ここは「撓む→傾きながら→冷える」で3カウントとするよりは、1・5~2カウントととらえるべきでしょう。
つまり、一連の動きが連続していて、不可分だといえます。
「撓む」を作用とするなら「傾きながら冷える」は反作用とでもいえそうです。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿