短歌3首 菊地裕
マルクスの死の百年後潰された虫をみてゐる 死んでるみたい
皺くちやの樋口一葉いちまいと等価交換なす美顔液
試薬品だからと云つて験(ため)されてだんだんじふんがわからなくな…
a crossing 第4回のゲストは、歌人の菊池裕さんです。
柄谷行人が『マルクスその可能性の中心』を上梓したのが1978年。
1960年生まれの菊池さんはもしかしたら思想形成時に
マルクスを意識した最後の世代なのかもしれないと思いながら読みました。
歌評は、喜多昭夫さんを予定しています。
菊池裕略歴 1960生まれ。1987年中部短歌会入会。編集委員。2004年歌集『アンダーグラウンド』(ながらみ書房)上梓。2005年『アンダーグラウンド』により第13回ながらみ書房出版賞受賞。
前記コメント、「皺くちゃ」は「皺くちや」の誤りでした。訂正します。
投稿情報: (た) | 2008年4 月16日 (水) 21:24
思想の変貌から現在の人のあり方を位置づける作品と感じました。三首は過去・現在・未来の配置と思われました。
一首目。死後五十年から百年へ。1983年に潰された虫として意味を通す事柄は、グレナダ侵攻しか見当たらなかった。仮にその設定だと、メディアを通して「みてゐる」と憶測する。五十年前にMartyrium「気味」と喩えられた残滓は、今を生きる人から感じられるか。他人事無視に至っているのではないか。その疑問を、結句「死んでる」と「ゐ」を抜いた現代の語調への転調、視座の移動から感じる。
二首目。「皺くちゃの」五千円、羨ましい家計。没落者の哀しみは顧みられない。「一葉」「いちまい」で韻。不換紙幣と「等価交換なす」、ケインズマクロの流れ。見えざる手をめぐって、一首目と好対照。美顔液は今流行りの美白か。おはぐろの黒と対極の白。両者同じく美を求めている。しかし動機は変わったのではないか。
三首目。治験薬ではなく「試薬品」。故に験されているのは人ではない。暗喩。自刎がわからなくな…ならばヴァイタル低下で意識が薄れてきているということか。じふんが自噴ならば、内証智を得ることで可能性が開けると思いたい。
投稿情報: (た) | 2008年4 月16日 (水) 21:00