◇菊池裕さんの短歌作品に喜多昭夫さんが評を寄せてくださいました。どうぞご覧下さい。
■短歌評 喜多昭夫
マルクスの死の百年後潰された虫をみてゐる死んでるみたい 菊池裕
マルクス—ある時代には光輝を放っていた言葉にはちがいないが、今や社会主義の亡霊という気がする。死語になりつつある人名といってもいいかもしれない。死に体であるマルクスと、その死の百年後に潰された虫。この虫は「死んでるみたい」と表現されている点に注目したい。「死んでる」と「死んでるみたい」は明らかに違う。「死んでるみたい」というと“生きているようにも見えるが、やはり死んでるみたいだ”というニュアンスが宿る。虫にかすかに生命の可能性を感じさせその後否定しているわけであるから、「死」よりも一層「死」を感じさせる表現となっていると言えるだろう。
この虫は何かの比喩なのだろうか。例えば社会主義というイデオロギーの終焉を歌っていると受けとめることは十分に可能だ。ただあまり理屈っぽく解釈するよりも「虫」を字面通り「虫」と受けとめた方が面白いかもしれない。
まずマルクス全集をイメージする。古本屋に高々と積まれている。表紙はやはり赤色が似つかわしい。「私」はその中の一巻を抜き取り、パラパラと頁をめくる。すると頁に挟まれて、押花のようにぺったんこになった虫に目がとまった。「この虫は死んでるみたい」。「死んでるみたい」じゃなくて「死んでる」だろッ、と思わずツッコミを入れたくなる。そこにこの歌のミソがあると言えそうだ。読者は感情移入せず、ツッコミ移入するわけだ。
皺くちやの樋口一葉いちまいと等価交換なす美顔液
これはまたなんともわかりやすい歌である。「皺くちゃの樋口一葉」はもちろん五千円札。五千円きっかりの美顔液を買ったということであるが、「等価交換」という言葉を用いたところが、この歌のミソといえるだろう。等価交換は資本主義の大原則といえるわけであり、一首目の「マルクス」に象徴される社会主義との対比が隠し味となっていることは間違い無い。
五千円に釣り合う商品はいろいろあるだろうが、「美顔液」を持って来たあたりは、やはり、技ありという気がするのである。当然樋口一葉は女性であり、まして皺くちゃになっているわけであるから、美顔液をつけてお肌をつるつるきれいにする必要があるわけであり、やはり樋口一葉といえども(?)、美顔液が欲しいということになるわけである。ただ彼女が生きた時代には美顔液はもちろんなくて、糸瓜水を用いたのだろう。そう考えると、明治時代と現代の時代性の差も自づと浮かび上がってくる仕掛けが施されているともいえる。
美顔液を買ったのは誰だろうか。作中の「私」は女性なのだろうか、男性なのだろうか。近年は男性も買ったりしているのかもしれない。そういう中性化した現代のつるつる感を歌っていると受け止めることもできるのではないだろうか。
試薬品だからと云つて験されてだんだんじふんがわからなくな…
はじめ「試供品」の方がいいのではないかと思ったけれども“験されて自分がわからなくなっていく”というのだから、「試薬品」の方がふさわしいと思い直した。
「試薬品だから」という口車に乗せられて、ある意味人体実験に使われてしまうのだからおそろしい。
表現に工夫がみられるのは「じぶんがわからなくなる」ではなく、「じふんがわからなくな…」と表記した点。「じぶん」ではなく「じふん」。最初、誤植かと思ったけれども「じふん」とした方が、あいまいな存在になっていく自分が色濃く表出されるということに気づかされた。また「時分」を掛けているとも考えられるのである。だんだん時間の感覚がなくなっていく—。
「わからなくなる」ではなく「わからなくな…」。ここで意識が途絶えてしまったのだろうか。不気味な余韻がのこる。
二首目との関連でいえば、「美顔液」が実は「試薬品」だったというオチがつく。
菊池さんの歌は、この薄っぺらな時代に浮かぶ人間の生や性をほの苦いアイロニーを込めながら、硬質感のある文体で綴って行くというスタイルをとっている。歌は時代の鏡であるということをまざまざと感じさせてくれる。
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喜多昭夫:1963年、金沢市生まれ。つばさ短歌会主宰。「井泉」所属。歌集「青夕焼」平成元年、「銀桃」平成12年、「夜店」平成15年。評論集「逢いにゆく旅 建と修司」平成18年。現代短歌評論賞、齋藤史賞、泉鏡花記念金沢市民文学賞受賞。現代歌人協会会員。
島さんが問題提起されている「壁」に正面から誠実に取り組んでいらっしゃる評であると感じました。
誠実と「バカ正直」は違う、という論。或いは、演劇と「現実」との境界を弄ぶ前現代的試行の時代錯誤。それらを超越し、素直に歌を解釈する勇気。その信念を垣間見ました。
最後の3行、含蓄があると思わせる配置、文芸とはかくあるべきと納得させられる文でありました。
投稿情報: (た) | 2008年4 月26日 (土) 02:02
久々に喜多さんのシャープな評を拝読致しました。有難うございます。
作者の無意識を顕在化させ、なるほどと思わされ吃驚。あと、批評文にも芸が必要だなあと痛感しました。
投稿情報: 菊池裕 | 2008年4 月24日 (木) 16:10