17回目の歌人は五島諭さんです。
歓送迎会ではなく歓迎会兼送別会という言い方にちょっとした哀感を感じました。
いまや全員コント時代なんですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/コント
「コント」
傘の用途
グリップをかるく握って笹の葉の揺れるあたりをさっ、と振り抜く
時間を敵にまわす稚拙な生き方の 花の写真のあるカレンダー
歓迎会兼送別会の出しものは、加藤・三ケ田のコントが受けた(三ケ田=みかだ)
プロフィール
五島諭(ごとう・さとし) 1981年6月28日生まれ。「pool」同人。ガルマン歌会に出ています。
三首目、山本さんがいわれた、コントが入る側と出る側の二人で演じられたという発想はありませんでした。確かにそれは伝説になりそうですね。
私も少なくとも作中主体は入る側でも出る側でもない印象をもっていました。ただあらためて見ると、主体と会との位置関係は明示されておらず、ゲゼルシャフトでの自己の代替可能性と、「加藤・三ケ田のコントが受けた」という主体との関係の代替不可能性が示されているようにも見えます。
投稿情報: (た) | 2009年6 月10日 (水) 00:06
17回目「コント」は
連載の流れをとめるような感じが
痛快だったように思います。
一首目、たぶん1回目に相方が
肩に力が入ったまま
ささっと振りぬいたのでしょう。
それを、違うだろと、なって、
さっ、と振りぬいた
こんな光景が浮かびましょうか。
二首目。
「時間を敵にまわす稚拙な生き方」
の体内時計においては
秒針が 稚ッ、稚ッ、稚ッ
と進むか、もしくは
舌打ちとして、進んでいきかねません。
ただ、
カレンダーの花に目がいくのであれば
まだ一線を越えていないのかもしれず、
一字空きが、その距離感を、あるいは
象徴していましょうか。
三首目、歓迎会兼送別会のよいところは
両者への敬意を多大に損なうことのないまま
同じ出席者で会を仕切れることにありましょうか。
そこでかみかぜを吹かせたのが、加藤・三ヶ田。
片方が、入る側・もう片方が出る側だとしたら
伝説になりましょうが、真相は…
などと、思いは尽きません。
投稿情報: 山本剛 | 2009年6 月 9日 (火) 04:10
題「コント」。三首を一歩引いて見てみるとってことなんでしょうか。
一首目。
いい感じですね。「、」←ここに隙間があるんですね。
二首目。
この敵は"l'obscur Ennemi"(Baudelaire)のようなものか。"Le Temps mange la vie"とか。
その稚拙は
かぞふればわが身につもる年月をおくりむかふとなにいそぐらむ/平兼盛
のような感じでしょうか。
或は王維の送別の「白雲無盡時」に通ずるかもだがそこまではいかない。
帰ってこれなくなりますからね。
花の写真。その花は↓こんな花のような気がしました。でも写真です、という。
Die liebe Erde allüberall blüht auf im Lenz und grünt
Aufs neu! Allüberall und ewig blauen licht die Fernen!
Ewig...ewig...
(Mahler, Das Lied von der Erde, after 王維)
三首目。
歓送会ではなく送別会。(三ケ田=みかだ)。このルビは無理も厭みもないですね。
カラっと乾いた印象。か行とた行が効いているのかな。
投稿情報: (た) | 2009年5 月28日 (木) 22:52