+a crossing 高田祥さん作品の歌評は、短歌人の内山晶太さんです。的確かつ手堅い批評と評判の内山さんが一見奔放な高田さん作品をどう読むか、とても興味のあるところです。
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短歌評 内山晶太
取り乱してる、何か喚いてる、ほら(五月雨や)僕にルビをふってる
基本的には、分からない。一首の解釈どうこうという作品でなく、歌という概念に対して揺さぶりをかけるタイプの作品であろう、ということなどかすかに感じる。どこまで読ませない、解釈させない作品をつくるか、という揺さぶり。
分かりにくさの極北を目指しているような、いないような。
困る。
とはいえ、解釈の場を与えられているからには解釈するのが私の責務であろう。
で、解釈。
一首に登場してくる物体が異常に少ない。五月雨、僕、ルビというのがこの一首の登場物体であるのだけども、五月雨はカッコのなかに入っていてしかもその後の「や」というのが曲者。並立助詞で「五月雨」が「僕」とならんでいるのか、間投助詞で俳句の切れ字のような役目を持っているのか。
私はカッコを考慮して、間投助詞、俳句の切れ字のほうをとった。とすると、一首のなかで支離滅裂さが完成し、支離滅裂さにおいて整合性が保たれてしまうのだけれどもそれがいいのか悪いのかは、正直私に聞かれても分からない。
ただ、複数のフラッシュバックがいっせいに押し寄せてくるような圧倒的な不安定さによって、歌が力を得ていることは確か。僕のうえにふられるルビ、というのも、なにか逃れられない星(=宿命)のようなものを感じさせる。精神は、複数の分裂したイメージに切迫し身体はその切迫感によって硬直する。
久方の、オカケニナッタデンワバンゴウハ雨デス。あられもない
こちらも分裂主義といっていいような作品。その分裂を「久方の」、「雨」つまり枕詞の準用でかろうじてつなぎとめている。歌が首の皮いちまい。
オカケニナッタデンワバンゴウハ雨デス、とはじつにそっけない。電話した相手方が不機嫌だったのか。で、機嫌が良かったとしてもオカケニナッタデンワバンゴウハ晴デス。でぶちっと切られるのか、と思う。
電話をかけるとは、何かしらの意思なり感情なり気分なりを相手に伝えるための行為である。が、この電話は相手の意思、感情、気分を一方的に相手から伝えられて終わる。それは、確かにあられもない。一首中の「あられもない」はそういった意味のあられもないか。つまり、考えられない、あるはずがない。といった意味か。
もしそうであれば、一首にオチ、しかもかなり全うなオチをつけてしまうことになる。んーと思う。で、別の意味の「あられもない」(=はしたない等)であるととった。
ここからはちょっと強引にいかせてもらう。荒療治。
はしたないという意味で用いる「あられもない」の裏側にはぺっとりと、寝ている女性のイメージがはりついている。「あられもない」ともっとも親和性のある言葉はなにか。ずばり「寝姿」であろう。燃える闘魂といえば、アントニオ猪木、あられもないといえば、寝姿。そういう関係性があるように感じる。「あられもない」は女性の寝姿をつねにそこはかとなく喚起させる言葉であるのだと思うが、いかがか。
一歩踏み込む。つまり、「あられもない」は「(女性の)寝姿」を導く枕詞(または準枕詞)なんである。そうしてみると、一首は突如、倦怠をともなった恋愛の匂いを、濃厚に漂わせはじめる。梔子の花のよう。ふて寝してそのまま熟睡してしまった女性のあられもない寝姿が、うすぐらく浮かんでくる。
解釈にはてこずるが、解釈してみるとなんともエロティックでいい匂いがする歌なのだった。
音の無い詩もあるだろう 蜘蛛糸のほっつりほつれ日照雨ふりける
蜘蛛の糸がほつれて風になびいている。そのほつれは日照雨に降られてできたものである。光にふれながら音もたてずそよいでいる様はなんとも詩的ではないか。といった感じが私の解釈。散文化してみるとなんとも無粋であるので、高田作品をそのまま味わっていただいたほうがいいだろう。が、そうすると私の責務がなくなってしまうので、この作品の美点をひとつ述べる。
因果関係の希薄化。この巧みさが一首を良質な作品へと高めている。
比較。
蜘蛛糸のほっつりほつれ日照雨ふりける
蜘蛛糸のほっつりほつる日照雨のふりて
前者は蜘蛛糸のほつれと日照雨の間には弱い因果関係しかない。因果関係を遮る空間が確保されている。言葉のつながり方は若干不自然だが、言語化によって「矯正」される因果関係の罠から逃れているので、情景はナチュラルに立ち上がってくる。
一方、後者。因果関係は明白であって、一読分かる。が、前者で感じられたゆわゆわしたやわらかな立体感がない。一読分かる歌というのにももちろん価値はあるが、この一首ではせっかく現れた夏のやわらかな立体感を味わいたい。
内山晶太(うちやましょうた) 1977年、千葉県八千代市に生まれる。1998年、連作「風の余韻」により第13回短歌現代新人賞受賞。短歌人同人。
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